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新聞を取らない理由

若者の○○離れシリーズの中でも新聞離れには人気があるようだ。

若者はなぜ新聞取らないのか 情報にお金払うという感覚なし

実際若者の新聞の購読率は落ちているようだが、その理由はなんだろう。

もっとも多かった理由が「料金がかかるから」。新聞を読まない若者の62.6%が、この理由をあげた。

「料金がかかるから」となっているがこれ程意味のない結果もない。私が新聞を読まない理由は「内容が薄い割に」高いからだし、「ネットでより迅速に入手できる情報なのに」高いからだ。要するに、「料金がかかるから」というのは「得られるものに対して価格が高い」、すなわち「買わない」という言葉を言い換えただけに過ぎない

よって、ここから「情報にお金払うという感覚なし」と結論付けることはできない。新聞を買わない私も、プロバイダーには一番高いプランで料金を支払っているし、本は読むより買うほうが多いので積まれていく一方だ。

若者を代表するつもりはないが、ネットや携帯サイトを通じて小額決済を行うのは簡単になってきており、むしろ情報にお金を払うという感覚は増していってるように思える

次に多いのが「読むのに時間がかかるから」(37.9%)、3番目は「他のメディアから得られる情報で足りているから」(24.5%)というものだった。以下、「ゴミが増えるから」(22.8%)、「余計な情報が多いから」(18.3%)と続く。

2番目以降の理由は、どうして費用に見合う価値がないのかという具体的な記述であり、それなりに有用だ。

「読むのに時間がかかるから」、「余計な情報が多いから」はバンドリングの問題だ。新聞業界は様々な情報を集めて売ることで利益を上げてきた。読者一人一人が興味をもつ情報は新聞の中の一部であっても、紙面を増やすための追加費用は新聞を印刷して、配達するため費用に比べて小さい。それなら何でも載せてしまって読者を増やすと同時に購読者への価値を平準化することで利益を増やせる。しかし、こういったバンドリングはインターネットの登場によって難しくなった。ネット上で興味のある記事だけを選んで読むことができるからだ。

「他のメディアから得られる情報で足りているから」は単純に情報の供給が増えたため、新聞というメディアの市場支配力が落ちたということだ。同じような財を供給する主体が増えれば同じ価格では売れなくなるというだけの話だ。新聞だけは競争とは関係ないなどということはない。そもそも新聞業界が日本より寡占的な国もないわけで、その日本ですらついにと言った方がいいだろう。

他にも、家族構成の変化も考えられる。新聞は一家に一契約という家が多いだろうが、家族の人数が減れば実質的な一人当たり負担は増える。四人・五人で一緒に読んでいた時代と一人・二人で暮らしている時代とで大差ない価格で売れば、高すぎると思われるのは当たり前だ

「効率的に情報収集できるから」という理由が46.1%で1位になったのだ。新聞を読まない若者は「食わず嫌い」の可能性もあるというわけだ。

逆に読む理由は「効率的に情報収集できるから」とのことだが、これを「新聞を読まない若者は「食わず嫌い」の可能性もある」というのはかなり苦しいだろう。若者が新聞を読まなくなっているとはいえ、現在20-34歳の人で子供の頃から新聞が家になかったという人は少ないだろう。「可能性がある」というのは勝手だが、その可能性はゼロに近い

オンラインコンテンツへお金を払うか

Nielsenによるオンラインのコンテンツにお金を払っている人や払う意思のある人の割合の調査:

Changing Models: A Global Perspective on Paying for Content Online | Nielsen Wire

青い部分が既にそのコンテンツにお金を払っている人の割合、オレンジの部分が払っても良いと考えている人の割合だ。

Online content for which consumers are most likely to pay—or have already paid—are those they normally pay for offline, including theatrical movies, music, games and select videos such as current television shows. These tend to be professionally produced at comparatively high costs.

消費者が対価を支払う可能性が高いのはオフラインで通常対価を払って消費するような生産コストの高いコンテンツとのこと。但し、このグラフで多くの人がゼロより大きな価格を払う(払っている)ことはその(オンライン)コンテンツの価値が高いことを意味しないには注意する必要がある。

まず、消費者は必ずしも自分にとってのコンテンツの価値を対価として払うわけではない。払わなくてもいいなら払わないわけだ。だからここで対価を支払う人の少ないコンテンツは価値がないのではなく、単に競争的に供給されているだけということが考えられる。ユーザーが作成するコンテンツはこの類だろう。

またゼロ以上の価格を支払う人が少ないことは支払いが総額として少ないことにもならない。多くの人にタダで配布しても一部の消費者から十分に収益をあげられるならそれで構わない。消費者でなく別のルートで利益をあげてもいい。利用者が多いほど価値が上がるタイプのコンテンツであれば、このような戦略を取るのが自然だ。個人のプロモーションでも広告でもよい。

Nielsen asked more than 27,000 consumers across 52 countries

しかし、多くの人に聞くのはいいがこの手の調査を52ヶ国分まとめて数字にしてもあまり役に立たない気もする。

水資源ビジネス

最近twitterで水資源についての話題があったので、前に読んだ記事をご紹介:

Pricing Water For The Poor – Forbes.com

日本では最近水資源ビジネスを支援しようという動きがある

経済産業省は18日、水質浄化や上下水道の運営を手掛ける「水資源ビジネス」を本格的に支援する方針を固めた。欧州の巨大企業は発展途上国などの上下水道を運営し「水メジャー」と呼ばれている。同省は水資源ビジネスを成長分野と位置付け、海外の水道事業への参入や水処理プラントの建設などを後押しする。

しかし、和製石油メジャーを作ろうという政策がどれだけの便益をもたらしたかは定かではないし、水不足は石油不足とは異なる性質がある。それは、適切な価格付けがなされていないという需要の問題だ。要するに、水が安すぎるため過剰に・不適切に使用されているということだ。こちらを放置したたまま、単なる利権・無駄遣いにつながるおそれのある、資源確保にばかり積極的に出るのは頂けない。

では本題の最初のリンクに戻ろう。これはもともと「ビジネスをしてお金を稼いで社会のためになろう」で紹介しようと思った記事だ。

Biswas, 70, runs his own think tank, the Third World Center for Water Management, in Mexico City. The center gets its revenue from contracts to advise governments on water management as well as contributions from foundations and aid agencies.

紹介されているAsit Biswasさんは水資源管理のシンクタンクを運営している。彼のビジネスは水を効率よく利用するためのアドバイスをすることだ。水不足が叫ばれ始めて久しいが、彼によれば水資源は問題ではない:

“There is enough water until 2060,” he says. “Water isn’t like oil in that once you use it it breaks up and can’t be reused.” Water can be reused umpteen times. […] The main problem, he says, is that water management in most countries is abysmally poor.

総量の決まっている原油とは異なり、水の再利用や淡水化に関する技術は発展している。水不足最大の問題は、水資源の管理が極めて杜撰なことだという。

Governments, however, are not in the habit of attributing shortages to their own ineptitude. They are more likely to describe the problem in apocalyptic terms.

しかし政府は自分たちの管理が問題だとは認めず、水資源の枯渇を叫ぶ。その方が彼らには都合がよい。

“There’s a lobby that says water is a human right [and hence it should be free], and that’s baloney,” says Biswas. “Food has been declared a human right, and people still pay for it. So why shouldn’t they pay for water?”

反対側からは水の利用は人権でありゆえに無料であるべきだという意見もあるが、それについても食料との比較で切り捨てる。食料は人権だが無料ではない。これは医療を人権だと称するのと同じ間違いだ(参考:医療は人権か)。人権かどうかと無料であるかは違うことだし、タダである量を供与することとタダで好きなだけ使わせることは違うことだ

Ideally, water, or any scarce good, should be priced at its marginal cost. If the last gallon supplied costs a penny to acquire and deliver, then every gallon should be priced at a penny, even if some of the supply can be had for free.

そしてその価格は教科書通り、限界費用であるのが望ましい。消費者は社会的な費用を負担することで、社会的に望ましい利用を行う。なぜならそうすることが消費者自身にとって望ましいからだ。

“The universal access to clean water will never be realized if water supply is free or heavily subsidized,” he says.

水の価格がゼロだったり大量の補助を受けていたりする限り、清潔な水へのアクセスは実現されないのだ。

小額クーポン

メール・イン・リベートに引き続き、日本では見られないアメリカの価格戦略としてクーポンを見てみよう。

これはドラッグストア(でいいのかな?)のWalgreensのクーポンだ。チラシにこういった割引情報が乗っていて、店の中や郵便ポストを見ると大抵見つかる。ここまでは日本と変わらない。

しかし、上の画像には点線の枠とバーコードがあるのに注目して欲しい。そう、この値引きはそのチラシにハサミを入れて切り取り、購入時にスーパーに持っていかなければ有効ではないのだ。日本でいえばマクドナルドのクーポンと同じだが、それがそこら中のスーパーに存在する。

ファーストフードのそれとは異なりこれはお得情報ということですらない。まず第一にクーポンが含まれるチラシは店の入り口に山積みされており、別に誰でもその場で手に取れる。また、割引額もかなりしょぼいことが多く、50¢割引でしかないクーポンもざらだ。それを切り取って、レジに持っていき、しかも時間がかかるので店員や他の客から若干冷たい視線を浴びることを考えるとなんのためにあるんだ、これ??と思うのも無理はない代物だ(注)。

ではなぜ、こんなシステムがあるのか。これもまた価格戦略の一つだクーポンを切り取って、わざわざレジにもっていって店員に説明するという行動を取る人にだけ割引を提供する手段なのだ。わざわざクーポンにせずに割引するのでは割引前の価格を払ってもいい客にまで割引を提供してしまうからこういうことをする。

日本でこれがあまりないのは、MIRの場合と同様、教育・所得水準の格差が比較的小さいためだろう。クーポンは利用者の手間を増やすし、レジの進みを遅くするので、効果が薄ければわりに合わない。しかし、格差が開いていくのであればこういった販売手法を導入する企業が出てきても不思議ではない。

(注)ちなみにアメリカのサービスの質は想像を絶する低さなので自分が不器用なのにいらいらして客を睨んでいるレジ係なんて珍しくもない。そもそもレジのスピードは日本の三分の一以下だ。

メール・イン・リベート

チェック廃止の話が在米の方々を中心に好評だったので、もう一つの消えてなくなって欲しいものであるメール・イン・リベート(MIR)を取り上げる。

まず、馴染みのない人にMIRが何かを説明しよう。MIRとは割引の一種で、商品を購入したときにレシートやバーコードと所定の書類を郵送すると忘れたころに(運がよければ)小切手(!)が送り返されてくるというものだ。実店舗でもネットでもよくみかけるが、便利なのでneweggから一例とってきた:

mir赤く囲った部分がMIRだ。10ドルの小切手が送ってくるということを意味する。ちょっと考えればこれが恐ろしく非効率なことが分かるだろう。客はリベートの申請書類を郵送する必要があるし、企業側はそれを処理して(正規の購入者かを確認する必要がある)、さらに小切手を郵送しなければならない。10ドルの割引をするのになんでこんな手間を掛けるのか。そのまま値引きすればいいじゃないかという話だ。

これは、典型的な価格差別戦略だ価格差別とは同じ製品・サービスを相手によって違う値段でうることだ。たくさん支払う気のある客には高値で売って、そうでない客には割引して売ることだ。こういうと当然のように思えるが実際にやるのは結構難しい。対面で値段交渉をするなら簡単だろうが、量販店の棚に並ぶような製品では特別な仕組みがないとできない。同じものが違う値段で並んでいれば誰でも安い方を買うからだ。

ではこのMIRはどうやってそれをクリアするか。リベートの申請に手間がかかるようにすることで、時間のない人には実質割引をせず、暇な人には割引を適用するのだ。通常忙しい人の方がお金も持っているし、いろいろ比較して製品を買うこともない。こういった人は比較的多めのお金を払えるのでこの方法で利益が上がる可能性がある。

もちろん、この方法には大きな無駄があるのでうまくいくとは限らない。無駄というのは、リベートを送るための費用だ。なるべくリベートを受け取るのを難しくするため、電話して催促しないと小切手を送ってこないなんてケースもざらだ。

リベートを使わない人がリベートが存在するがゆえにその商品を購入しないこともある。アメリカでもMIRには反感が強く、事務費用などの負担もあり量販店ではMIRを撤廃しているところもある。

また、そもそも人によって時間の価値に大きな差がなければ機能しない。日本でMIRを見かけない理由の一つはここにあるだろう。所得格差が広がればこういったリベートも普及する可能性がある。