出版業界の矛盾

日本の出版業界で最近よく目にする矛盾が分かりやすく一枚に収まっている名作:

電子書籍:「元年」出版界に危機感 東京電機大出版局長・植村八潮さんに聞く

音楽業界のようにほぼ一手に握られることになれば、間違いなく日本の出版活動は続かなくなり、書店や流通の問題というより、日本の国策、出版文化として不幸だと思う。

まずは「文化」だ。文化として不幸かどうかより、消費者が不幸になっていないかを気にして欲しい。ところで日本の音楽業界が停滞しているのはiTunesのせいだという前提があるのだろうか。

アマゾンやアップル、グーグルなど「プラットフォーマー(基本的な仕組みを提供する企業)」の時代になるといわれている。

[…]

米国でプラットフォーマーに対抗できるのは、複数のメディアを傘下に収める巨大企業だけ。

アマゾン、アップル、グーグルが複数のメディアを傘下に収めているという話は聞かないが何か大型買収でもあったのだろうか(それとも日本企業がプラットフォームを作るというのは想定外なのだろうか??)。そもそもコンテンツを垂直統合していたらそれはもうプラットフォームではない(プレイステーションのゲームが全てソニー製だったらプレイステーションはプラットフォームとは呼べない)。

出版社4000社、書店数1万6000もある日本の出版業界が、このままで対抗できるわけがない。

[…]

日本人は紙質や装丁にこだわり、読み終えても取っておく人が多い。米国で成功したから日本でもというのは、分析が足りないと思う。

あれ?アメリカのプラットフォームが日本では成功しないなら、日本の出版業界は対抗できるのではないだろうか

iPadはそんな新しいメディアとしての可能性が高い。ただ、熱狂的なアップルファンは買うだろうけれど、広く日本人に支持されるかは分からない。

これも同じだ。日本の文化だから守る必要があるというために日本の特殊性を主張すればするほど、じゃあ保護の必要はないのでは?という矛盾に陥る

GMの借金はどこに

トヨタの話がずっと話題になっていたが、GMの新しいテレビ広告が注目を集めている。

Fair Game – At G.M., Repaying Taxpayers With Their Own Cash


広告の中でCEOは、GMが政府からの借金を利子付きで本来の期限より大幅に早く返済したと宣言している。これによって、世間の批判を和らげ、新しく生まれ変わったイメージを打ち出している。問題は、その借金の返済が本当の返済とは呼べないことだ。

the money G.M. used to repay its bailout loan had come from a taxpayer-financed escrow account held for the automaker at the Treasury.

GMは確かにTARP (Troubled Asset Relief Program)からの借入金を返済したわけだが、なんとその原資はやはり税金が原資である財務省のエスクローアカウントだという。要するに政府にお金を返したのではなく、借り換えしただけなのだ。

It’s certainly understandable that G.M. would want to spin its repayment as proof of improving operations. But Mr. Grassley said he was troubled that the Treasury went along with the public relations campaign and didn’t spell out how the loan was retired.

特に問題視されているのはGMというよりも財務省だ。財務省はTARPの返済が順調に進んでいるというイメージを作るインセンティブがあり、GMが非常に誤解を招くキャンペーンを行うのを黙認しているためだ。

“Much of it will never be repaid,” Mr. Grassley added. “The Congressional Budget Office estimates that taxpayers will lose around $30 billion on G.M.”

実際には、納税者はGMで300億ドルを失うと予測されている。

ジャーナリストに必要なスキル

ジャーナリストに必要なものは何なのか考えさせられる記事があった。

When public records are less than public: How governments try to use copyright to limit access to data

そもそもジャーナリストという職業が何を意味するのかよく分かっていない。是非ジャーナリストの方と話てみたいと思うが、ここではとりあえずWikipediaのエントリーを見てみる。

A journalist collects and disseminates information about current events, people, trends, and issues.

最近の事柄に関して情報を集めて広める人をジャーナリストというらしい。この定義によれば以下のような能力がジャーナリストには必要であるように思われる:

  • 需要のある情報を見極める
  • 必要な情報を収集する
  • 収集した情報を流通に適した形に加工する

こう考えるとITがジャーナリズムを変えるのは当然だろう。単に流通コストが下がったことで情報を売るのが難しくなったというだけでなく、ジャーナリストの仕事の全ての段階においてITが大きな影響を与えるはずだ。

需要のある情報を見極める能力や集めた情報をうまく流通させる能力はウェブ以前と以後では比べ物にならない。Googleのようにユーザーの行動を把握したり、Facebookのようにソーシャルネットワークを利用して興味を探ったりできる。個人レベルであっても、各種のソーシャルメディアを効果的に利用することでまわりの人、特に自分の観客が何を求めているのかを効果的に把握できる。今まで出来なかったことが出来るようになったゆえに必要となった能力だろう。

必要な情報の収集方法も変わった。調査報道だと例えば政府や企業の不正を暴くという機能がある。以前なら記者クラブに行くとか熱心に取材・聞き込みをすればよかったかもしれない。しかしこれからはそれでは足りない。

Will Columbia-Trained, Code-Savvy Journalists Bridge the Media/Tech Divide?

But even fluency in broadly defined “multimedia skills” isn’t enough, with coding becoming as crucial to the news business as knowing how to use a computer was a couple of generations ago.<

例えば、このWiredの記事はコロンビア大学がジャーナリズムとコンピューターサイエンスのジョイントプログラムを提供していることに際し、ジャーナリストは単にマルチメディアに強いだけではなく、プログラミングのスキルも必要だと指摘している。

これは政府が情報をデジタルデータとして公開する潮流を考えれば当然の流れだろう。情報がない時代にはそれをひたすら探すのが重要だが、逆に情報が溢れている時代には必要な情報をそこから探り当てることのほうが重要だ。そして莫大な情報をさばくにはコードを書くしかない。これには統計情報を、例えばRなどで、処理することも含まれる。

情報が少ないのか多いのか、それが情報を集めて広める職業に大きな影響を与えるのはごく自然なことだ

When public records are less than public: How governments try to use copyright to limit access to data

さらに今回の記事では、そのコーディング能力すら十分とは言えないという。

That’s all well and good, but having all those programmer journalists looking for access to public data brings to the forefront questions about who owns public records and who has the right to put limits on their use.

何故なら、政府が情報公開の流れに逆らおうとするためだ。情報処理能力があっても情報がなければ意味のある情報を得ることはできない。再び情報の少なさが問題となっているわけだ。

しかし、同じ情報の少なさでも対策は以前とは異なる。今回、情報が少ないのは政府が情報公開の規則を何らかの方法でねじ曲げてそれを拒んでいるためだ。

While Section 105 of the Copyright Act makes works of the federal government ineligible for copyright protection, this provision does not apply to state and local governments.

アメリカの様子が描かれている。著作権法は連邦政府の文章に保護を与えていないが、地方政府には適用されない。

In New York, for instance, state and local agencies may comply with their obligations under the state Freedom of Information Law while maintaining their copyright, and the public records law “does not prohibit a state agency from placing restrictions on how a record, if it were copyrighted, could be subsequently distributed.”

そこを利用して州政府が情報公開を拒むための法律を作っている。

Of course, even when a government entity claims copyright over public data, that protection is at best thin. In general, datasets are protectable as compilations, meaning only the original selection, coordination, or arrangement of facts is protected.

しかし、行政の情報というのはデータベースに該当することが多く、少なくともアメリカでは、実施的な保護はない。

In the case where a third party provides the government with information under a contract, the government agency may not be free to let you do anything you want with it.

そうすると行政は情報=データベースの作成を第三者に依頼する。それによって作成された情報の製作者が行政機関ではなくなるからだ。

記事中で明示されてはいないが、ここで必要な能力はリーガルなものだろう。行政が処理すべき情報の公開を法律・契約を使って阻んでいる以上、それを突破するには情報を収集する側の知識がかかせない

ITによってジャーナリズムが出来ることの範囲は大きく広がり、その結果としてジャーナリストに必要な能力も増えた。これ自体はよいことだが、ITは同時に紙媒体の収益性を奪い、単なる情報から利益を上げるのを難しくした。プログラムが書けて法律も分かるジャーナリストをこの業界がサポートできるかという話だ。

ITと情報公開の流れが可能にした、莫大な情報をコードを駆使して処理し得られた情報を低(限界)費用で配布するというモデルがビジネスとして成り立つのだろうか。

定年後の労働

定年に関する面白いグラフがあったのでご紹介。

OECD: Factblog: Keep on working …

上のグラフは国別の実際の平均引退年齢(青)と引退してからの平均年数(薄茶)表している。日本や韓国の労働年数の長さが目立つ。特に韓国の引退してからの年数は非常に短い。

下のグラフは引退してからの年数をより詳しく説明している。バーの長さが引退してからの年数、薄い部分はそのうち法的な定年より前の部分を表している。例えば最も引退年数が長いフランスはは法的な定年後がほとんど。これは定年が低いためだろう。逆にオーストラリアでは法的な定年より前に引退する人が多いようだ。日本はどうかというか引退してからの年数も短く、かつ定年より前に引退生活に入るというのは珍しいことが分かる。

元データはOECD Society at a Glanceでオンラインで入手できる。上のグラフはtableauに保存されたもので、サイト上では国別の数字などより詳細な情報も見ることができるようになっている。

涙の効用

涙を例にどのような場合にシグナリングが信用できるか、そして進化論的に安定しているかが説明されている記事:

Credible Tears

By blurring vision, they handicap aggressive or defensive actions, and may function as reliable signals of appeasement, need or attachment.

涙は視界をボヤケされることで攻撃や防御を取りにくくするので信頼できるシグナルだという意見に対して次のように反論している。

For example if tears convince another that you are defenseless then there is an evolutionary incentive to manipulate the signal.

もし涙がそのような理由で信頼されるのであれば、進化によってそのようなシグナルを悪用するようになるはずだという。涙を流すが視界はぼやけないようになるということだ。そうならなければ涙に騙されることで生存上不利になる。

A typical exception is when the signal is primarily directed toward a family member.

但し、シグナルを送る相手が家族に限られるのであれば進化論的に安定した=誰も悪用しないシグナルになる可能性がある。何故なら家族は遺伝子の多くを共有しているからだ。

And babies of course have few other ways of communicating needs.

特に他のコミュニケーション手段を持たない赤ん坊にとっては重要な仕組みでありうる。

Not surprisingly, once the child reaches adulthood, crying mostly stops:  Nature takes away a still-costly but  now-useless signal.

実際、成長するにつれて子供は泣かなくなる。子供はいつまでも保護対象だと思われるインセンティブがあるため、涙というシグナルを利用するようになるが、親もその構造に気付くためシグナルとしては効果がなくなる。効果がないシグナルを維持する理由もないので泣かなくなるのも当然だろう。